Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.44(04/08/23)

あっちにもこっちにも外来魚

 国交省関東地方整備局利根川下流河川事務所は8月13日、千葉と茨城県境を流れる利根川でハクレンの死魚約4000尾を回収したと発表。死魚が見付かったのは利根川河口付近の東庄町から上流の下総町にかけての約50kmの区間。体長約80cmの成魚で、死因は特定できていない。Mainichi Interactive千葉が14日付で伝えた。

 ハクレンは主に霞ケ浦に生息。夏が近付くと利根川を100km以上も遡上し、埼玉県栗橋町付近の約2kmのごく狭い範囲に集まって集団で産卵する。そのときに100尾単位の死魚が確認されることはあったが、これほどの大量死は初めて。産卵時に1m近い巨体が集団でジャンプするのが観光名物にもなっていて、今年はジャンプが見られるのか、町の関係者は気をもんでいる。

 8月17日付Mainichi Interactive岡山によると、津山市が16日、同市内の農業用の溜め池でフナが大量死しているのが見付かったと発表。10日頃から死んだフナが浮き始め、15日に約400尾を回収し焼却処分したが、16日にも約40尾が死んでいた。池にはコイ、ヘラブナ、ハエ、モロコ、バスなどが生息しているが、死んだのは15cm前後のフナだけで、病気の可能性があり県が原因を調査しているとのこと。

 この記事に出てきたフナ、コイ、ヘラブナ、ハエ、モロコ、ブラックバスのうち、いくつが在来種? ブルーギルが出てこないのがちょっと不思議なんだけど、「など」に含まれているのか、取材時に確認できなかっただけなのか、確認したけどバスの方が読者受けしそうだからギルを省略したのか、本当にいないのか、そのあたりのことが気になる。

 8月19日付Chunichu Web Press岐阜によると、高山市の宮川で16日に行われた放生会で、コイヘルペスウィルス病の心配があるコイのかわりにニジマスを600尾放流したとのこと。ニジマスが外来魚問題の対象として重要視されないのは、繁殖力が弱くて放流してもほっておけば死滅してしまうから。そんな魚を放して放生会って、形だけ放流できたら何でもええんか!? 考えがあまりにも浅過ぎやしないか。信教の自由については何も言わないけど、そんなことで人が救えるのだろうかと思ってしまう。

 この三つの記事はたまたま8月中旬に相次いで掲載されたんだけど、それを並べてみたら、あーら不思議。大きな川も、小さな川も、溜め池も、日本全国いろんな外来魚だらけだ。それをすべてアングラーのせいにして、リリース禁止にすれば問題が解決すると信じてる人がいるとしたら、もはや今となっては哀れみの対象と言うしかない。

 それをなんとか無理矢理つじつま合わせしようとするから、その場の話の都合に合わせて「海外からの移入種」「侵略的外来種」「ヤミ放流」「密放流」「不法放流」「人為的移植」などと未定義の言葉を次から次へと生み出し続けないといけないことになってしまう。そのうち、どうしても隠し切れなくなった事実については、「善意の管理者の過失による流失」や「未必の故意による拡散」なんてのも出てくるのではなかろうか。

 言葉だけでなく、駆除派がやってることの意義や目的もまったく定かではない。最初は完全駆除を目標に、その一環として導入されたはずの琵琶湖のリリース禁止が、いつの間にか「とりあえず減らさないといけないから」という言い方にかわり、いよいよ効果が証明できないとなると「啓蒙のため」にかわってしまった。これなんかも、つまり根拠もデータも論理的整合性も何もなく、とにかくやった者勝ちでやってしまった後の言葉によるつじつま合わせとしか言いようがない。

 完全駆除については、8月19日の紀伊民報AGARAに面白い記事が出ていた。ニホンザルの雑種化を防ごうと、和歌山県が2003年から進めてきた外来種のタイワンザルと混血ザルの捕獲作戦により、17日までに累計280頭を捕獲。2000年の調査を元に試算された現在の生息数が300頭前後で、それに近い頭数が捕獲されたことになり、9月以降に4年ぶりに個体数を詳しく調べる予定で、県は作戦の終了に向けて期待を寄せているとのこと。

 この結果について県自然環境室は「ゼロを目指しているが相手が生き物なので難しい面がある。捕獲費用なども考えると、延々と続けることもできない」と話している。陸上に、たかが100頭単位でいるだけのほ乳類が相手でも「ゼロを目指しているが相手が生き物なので難しい面がある」というのは、とても冷静で正直な発言だと思う。この事例に照らし合わせると、水中に何千何万何十万何百万といる魚を相手に完全駆除なんてことを言ってる人達は、どんなつじつま合わせを持ってしても冷静ではなく、正直でもないということになる。このとうてい不可能な完全駆除なるものが、いかなる必要性から出てきたかについては、以前にEditorial Vol.6で書いたことがあるので、そちらをごらんいただきたい。

 そんな駆除派の顔も立てる一方、バスの有効利用と環境保護を両立させるためのゾーンニングを提言してる日本釣振興会やバスアングラーの意見も尊重しようと、釣り大会と試食会をカップリングしたイベントが8月21日に長野県の青木湖と中綱湖で開催された。そのことを伝えた信濃毎日新聞ネット版の記事は、なんとも中途半端な煮え切らない内容になってしまっていて、目を覆いたくなるばかりだ。これってイベントの内容が中途半端なのか、信毎が煮え切らないのか、いったいどっちなんだと記事を見ながら考えてしまった。つまり、外来魚問題については行政もメディアも大きな矛盾を抱え込んでしまってる、そのことが端的に表れた好例と言えるのではなかろうか。

 駆除とは逆に希少魚を増やす努力もしないといけない。8月10日付京都新聞電子版によると、滋賀県立琵琶湖博物館が絶滅危惧種のニッポンバラタナゴの繁殖に成功し、今夏孵化させた約300尾を8月10日から9月5日までの予定で一般公開しているとのこと。それはけっこうだが、問題はその技術をどう生かすかだ。

 江戸時代から昭和初期にかけて東京湾で大流行した釣りがある。アオギスの脚立釣りだ。アオギスは警戒心が強く動きが俊敏で、江戸前の技巧の限りをつくした船釣りをもってしてもなかなか釣れない。そこで船に脚立を積んで行き、浅瀬のこれはという所に立てた上に釣り師が1人ずつ乗って、静かに気配を消しながら釣るという独特のスタイルが確立した。当時のことだからリールはなく、竹の長竿を駆使して繊細に釣った。アオギスはシロギスに似た魚だが、大きいのは40cmほどにもなり、泳ぎがとても速く、ひとたびハリに掛かると鋭い引きで猛烈に走りまくる。てんぷらや刺し身にするととてもおいしい。人気魚種になるわけだ。

 そのアオギスが、東京湾の埋め立てが進むにつれて少なくなり、70年代後半には姿を消してしまった。初夏の江戸前の風物詩と言われた脚立釣りも、今は昔話として語り継がれるだけである。

 8月22日付Mainichi Interactiveによると、水産庁は今年に入り、東京湾の漁業資源の復活を目指す「豊かな東京湾再生検討委員会」を設立。96年に財団法人海洋生物環境研究所がアオギスの大量人工養殖に成功したことに着目し、2005年秋に横浜市を中心に開催される「第25回全国豊かな海づくり大会」でアオギスの稚魚を放流する案が浮上した。この案に対して専門家や海づくり大会の会場となる神奈川県の漁業関係者からは、「放流しても繁殖できずに死ぬだけ」などと反対する声が出ているとのこと。高山市の放生会のニジマスと同じだ。水産庁は「まずは放流することで国民の環境整備に対する意識を高めたい。アオギスに東京湾再生のシンボルになってほしい」と期待を込め、9月以降の同委員会で放流などの詳細を検討することになっている。

 つまりこれもリリース禁止と同じ。放流に実効性があるかどうかなんてことはどうでもよくて、狙いはもっぱら啓蒙効果と宣伝効果ってこと。大量人工養殖に成功したからには、その業績をアピールするためにも、何がなんでも東京湾に放流しなくてはならない。あとは野となれ山となれ。放流したアオギスがどうなろうと知ったこっちゃない。およそ、お役所が考えそうなことだ。

 コンクリートの岸壁に囲まれた東京湾の汚い海に放流されるアオギスの稚魚がかわいそうだと思うようなメンタリティーはここにはない。そんなことは考えもせず、みんないい人のおじさんやおばさん達に囲まれて、船の上からバケツに入れたアオギスの稚魚をドバッと海に放り込む小さな子供達のうれしそうな顔。中には素手でアオギスの稚魚をつかんでテレビカメラに見せる子もいる。苦しそうに暴れるアオギスの子供。滋賀県が琵琶湖で開催し続けてる外来魚駆除大会で、釣り上げたブルーギルをカメラに見せる子供の姿にだぶる。それを伝える新聞やテレビニュースは、放流されたアオギスがその後どうなったかなんてフォローはしない。さんざんリリース禁止をプッシュしておいて、外来魚駆除の成果がどうなってるかは伝えようともしない行政やメディアの姿勢にだぶる。

 あっちにもこっちにも外来魚。どこもかしこも矛盾だらけ。それを言葉の上のつじつま合わせだけで、なんとかその場の体裁を整えようとするから、議論は現実から乖離する一方。そのあげく「啓蒙」なんてことを言い出しても、その場の都合で言ってるだけだってことをみんな知ってるから、啓蒙にも何もならず嘲笑を買うだけ。そんな見苦しい例が、メディアにも行政にも駆除派の中にもどんどん増えてるように思うんだけど、これって大勢のバスアングラーがいろんな所でがんばった成果が次第に目に見える形で現れてきた喜ばしい現象なのではなかろうか。

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