Presented by B.B.C./Biwako Bass Communications

Editorial
Vol.10(02/11/26)

「琵琶湖はどうなるか」という質問への回答

 「琵琶湖はいったいどうなるんでしょうか」という主旨の質問を11月に入ってから何回も受けている。おそらく100回は越えてないと思うのだが、この件についてお話しした人は10人や20人ではない。グループでお話しした相手を1人1人カウントすれば、おそらく50人を軽く越えていると思う。

 滋賀県議会の9月定例会に提出された「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」が10月16日に可決成立して、来年4月から琵琶湖で釣ったバスのリリースが禁止されるということがいよいよ本決まりになった。そのことをいろんなメディアを通じて知った人達が聞いてくるのだが、その聞き方に特定のパターンがあって面白い。パターンは二通りある。著者の顔をまともに見て、大上段から刀を振り下ろすように聞いてくるか、あるいは著者の顔色をうかがいながら、話を切り出しにくそうに聞いてくるかのどちらかだ。

 聞きにくいという気持ちもわからないではない。「こんなこと聞いたら気分を害するんじゃないか」あるいは「機嫌が悪くなるんじゃないか」と心配していただいているのだと思うのだが、そのようなご心配はまったく不要。こういう質問を著者は大歓迎である。Bassingかわら版などの文章には当たり障りがあり過ぎて書けない本質的な問題点や細かいデティールの部分、あるいは質問の主が聞きたい内容に合わせて、できるだけ時間を取ってお話しするようにしている。この文章を読まれた方も、これから機会があればどしどしご質問いただければ幸いである。

 質問の主はバスアングラーやバス業界の関係者だけでない。ルアー以外の釣りの愛好者や釣具店のスタッフ、釣り船の船頭さん、ソルトウオーターが専門のルアーアングラーなど、本当にいろんな方から質問を受ける。そのたびに、そういう人達が琵琶湖のバスフィッシングはどうなるのかと本気で心配していただいてるということがよくわかる。

 釣りとはまったく関係のない一般の方から質問を受けることもある。そのときに著者の意見を言うと、釣りのことをある程度知ってる人とはまったく違う反応が返ってくる。「バスというのは琵琶湖の魚をみんな食べてしまう悪い魚でっしゃろ。やっぱり退治せんとあかんのんちゃいますか」だいたいはこんな感じで、バスアングラーとの認識の違いがはなはだしい。

 それにくらべると、バス以外の釣りをしてる人の意見は中間的なところか。「バスは害魚には違いないけど、いきなりリリースを禁止するのは無茶や。琵琶湖のまわりの釣具屋さんや貸しボート屋さんはかわいそう」だいたいのところ、こんな感じだ。著者に対しては、「これからたいへんですな」というような言われ方をすることが多い。

 このような質問に対して、著者は三通りの答を用意している。まず、何が何でもバスは駆除しないといけないという立場の人に対しては、「そういう意見もありますね」ぐらいで、それ以上何も言わないし、議論などしようとも思わない。そういうことを簡単に信じ込むような人に対して、こちらがいろんなことを具体例をあげながら説明しても、それは相手とっては自分の無知をなじられているのと同じことで、意見を覆すような結果になることは絶対にない。そのことは過去に何度も経験ずみである。

 バスフィッシングのことを心配して聞いて来る人には二通りの答がある。ごく一般的な立場、例えば海釣りをやってる人に聞かれた場合は、何が問題で、何がその問題をややこしくしているか、リリースを禁止するような条例がなぜいきなり出てきて成立してしまったのか、などといったことを説明し、これからどうなるかは蓋を開けてみなければわからないと答えている。

 実際のところ条例は成立したが、それがどう運用されるかはまったくわからないし、具体的なことは何も決まっていないも同然だ。決めるための準備は進んでいるのだろうが、反対を恐れて提案も公表もされない状態だから、それに対してアングラーがどう出るかもわからない。何がどう決まったとしても、ことの成り行きからして相当の反対があるのは必至であろう。だから、どうなるかと聞かれても予想のしようがない。

 つまり、線路だけは引いたが信号機は立っていないし、走る電車もまだできあがっていない。信号機を立てて電車をちゃんと走らせるめどなんかぜんぜん立たないまま強引に通した条例だから、電車がちゃんと走るのが不思議なぐらいである。そういう問題を抱えた条例であることをよく説明し、どうなるかについては何が起こるかわからないし、場合によっては深刻な事態も招きかねないと半ば脅しに近いことも含めて、中間的な立場の人に対してはそのように申しあげるようにしている。

 もっとも慎重に答えないといけないのは、実際に琵琶湖で釣りをしてるバスアングラーに対してである。彼らは、自分達が置かれた立場が来年4月からどうなるのかと真剣に質問してくる。その質問に対しては、1人1人がどんな場所でどんな釣りをしているかによって具体的な話をするようにしている。例えば港の岸釣りがメインのアングラーなら、滋賀県が設置するとしている外来魚回収用のイケスがどうなるか。それについてどう思うか。それならどうするのが一番いいか。そういう踏み込んだことまで、1人1人を相手に話さないと役に立つ答にはならない。

 バスボートで釣りをしてるアングラーなら、自分達がボートを置いてるマリーナに回収用のイケスを設置するように滋賀県に要望書を出してはどうかなどと、納税者の権利としてそういう提案をさせていただくこともある。アングラーに協力の要請をするなら、漁港の近くにイケスを設置するなどという漁師の顔色をうかがうようなことばかりしていないで、そういうこともちゃんとしろと発言してはどうかと、これはそういう提案である。

 来年4月から琵琶湖のバスフィッシングがどうなるかは、本当に蓋を開けてみなければわからないと思う。バスアングラーとしては、何が起こっても大丈夫なように準備しながら、慎重に様子を見守っていくしかないだろう。それよりも、今やらないといけないのは、自分はどうするかを考えることだ。「琵琶湖はどうなりますか」というバスアングラーからの質問には、「自分はどうするかを決めるために、どうなるかということをわかる範囲で少しでも知っておきたい」という気持ちが込められているのだと思う。その意味で、どうなるかを予想することは無駄ではない。

 琵琶湖で釣りをしているバスアングラーから「どうなりますか」と聞かれたとき、自分はどうすればよいのかという必死の思いがひしひしと伝わってくる。それに対する明確な回答はない。しいて答えるなら、どうなるかは1人1人のアングラーがそれぞれどうするかの総和だということである。それに対して行政がどうしてくるかを予想し、ものごとを少しでも自分達が思う方向へ進めるようにしないといけない。そのためにも、どうなるかを考えると同時に、自分はどうするかを考えることが今大切である。

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